ちょっと真面目チョット皮肉 156
石山祐二 *
北海道のほぼ中央に位置する旭川駅から北に向かう宗谷本線の普通列車に乗ると 9 番目に無人の小さな塩狩(しおかり)駅がある(写真 1)。この駅から徒歩数分で木造 2 階建の「塩狩峠記念館」に着く(写真 2)。これは三浦綾子が作家になる前に旭川市で雑貨店を営んでいた建物である。


映画やテレビで度々取り上げられているので「氷点」の説明は不要かも知れないが、今からちょうど 50 年前の 1964(昭和 39)年に 731 編の応募作品の中から選ばれた小説である。この懸賞小説を執筆した建物が移築され記念館となっていて、小説「塩狩峠」もこの建物で執筆された。
三浦夫妻がキリスト教の伝道所として寄贈したこの建物は、老朽化のため解体されることになったが、「氷点」などの作品が生まれた建物を惜しむ声が高まり、移築されて記念館となったのである。もとの場所に残すことができればさらに良かったであろうが、解体されることが決定していた中では、次善の策であったのであろう。移築場所については、塩狩駅のある和寒(わっさむ)町と三浦夫妻が合意し、「塩狩峠」の舞台となった塩狩駅近くとなった。
1999(平成 11)年の開館式には三浦夫妻も出席したが、三浦綾子は病のため同年秋に 77 歳で亡くなっている。記念館には三浦綾子の全作品や生涯を説明した展示もあり、何時間過ごしても興味が尽きない。もちろん「塩狩峠」の説明もある。
国鉄職員「長野政雄」が乗っていた客車の連結器が突然はずれ、塩狩峠の急傾斜を上っていた客車は逆方向に走り出した。そのままでは脱線転覆すると感じた長野は自らの体を車輪の下に入れ、その列車を止めたという 1909(明治42)年の実話がモデルになった小説である。駅構内には「長野政雄氏殉職の地」と書かれた顕彰碑(写真3)がある。

大事故が生じるからといっても、それを防ぐために自らの命を犠牲にすることは極めて稀で、それだからこそ小説となったに違いない。しかし、その顕彰碑を見ながらJR 北海道の職員が線路幅のデータを偽り、それが原因で脱線事故が生じたことを思い出してしまった。職員の仕事に対する意識のあまりにも大きすぎるギャップを感じ、命を犠牲にした人間とデータを偽った人間とを比べること自体が失礼であると思いながらも、自分自身はどちらに近い人間であろうかなどと反省させられた次第であった。
なお、旭川市には立派な「三浦綾子記念文学館」があり、そこにはより充実した展示がある(このことは 2002 年 8 月にここ(※建築の研究)で紹介した)。しかし、訪れる人はあまり多くはないが自然の林の中にある「塩狩峠記念館、三浦綾子旧宅」には別の趣がある。国道からも近く、車でも行くことができるので、三浦文学の愛読者でなくとも是非訪れて欲しいと思っている。ただし、開館は 4 月 1 日から 11 月 30 日まで、月曜は休館(祝日の場合は開館で翌日が休館)である。
* いしやまゆうじ 北海道大学名誉教授
(社団法人)建築研究振興協会発行「建築の研究」2014.10 掲載