ちょっと真面目チョット皮肉 128
石山祐二 *
写真は重要文化財の「北海道庁旧本庁舎」である。1873(明治6)年に完成した木造の開拓使札幌本庁舎は、1879(明治12)年に焼失した。1888(明治22)年には、この通称「赤れんが庁舎」が完成し、その後、改築されたり、火災もあったが、幸い赤れんが壁は現在もそのままである。1968(昭和48)年には創建当時の姿に復元され、翌年に国の重要文化財に指定された。間口61m、奥行36m、塔の頂部までの高さ33m の「赤れんが庁舎」は北海道庁本庁舎として長年用いられていたが、現在は文書館・資料館・展示ギャラリー・観光情報コーナーなどとして用いられている。
この建物は札幌駅から徒歩2~3 分の場所にあり、開拓後の歴史が短い北海道では特に貴重な建物で、観光客も多く訪れる名所である。東向きなので、午前中に陽の光を受け赤く輝いている姿は特に美しい。私自身は近くを通る度に「赤いれんがの北海道庁」と子供の頃に遊んだカルタのことを懐かしく思い出している。
さて、たまたま通りかかった際に、観光客が「よい所に連れてきてもらって本当によかった。でも、後ろのビルがなければもっとよかったのに・・・」といっているのを耳にした。私自身、日頃からそのように思っているので、この点について書いてみたい。
写真は門のすぐ前から写したため、後方左右の建物も大きく写っている。実は、建物にかなり近寄っても後方の建物が目線に入ってしまう。そして、目線に入らなくなる位まで近寄ると、今度は建物頂部にある八角形の塔も見えなくなるのである。なぜ、このような目障りな位置に後方の建物を建設したのかと不思議に思うと同時に憤りさえ感じてしまう。
更に、後方に建っている建物が民間の建物であれば、「建設を禁止することが難しかった」との言い訳も多少は考えられるが、実は後方の右は北海道庁本庁舎、左は北海道警察本部である。北海道が自らの建物を建設する際に、北海道のシンボルともいうべき「赤れんが庁舎」の存在を考えずに、後方の建物を計画したのであろうか、あるいは考えた揚げ句にその位置に建物を計画し たのかを知りたいと思うと同時に、このような情報を是非公表して欲しいと思っている。
以上のようなことを書いていると、感情的になり憤りが一層増大するばかりで何の解決にもならないので、少し現実に戻って考えてみたい。
右後方の本庁舎は旧耐震で設計されているため、いずれ耐震補強*が必要となるであろう。その際には、上層の3 階位を取り除くと、(建物の重量が低減され)耐震補強が不必要になるかも知れないし、必要であっても大規模な補強にはならないはずである。このようにすると、少なくとも「赤れんが庁舎」の中央から右半分には目障りな背景がなくなる。そして、左後方の建物もいつかは取り壊される時がくるであろう。その時には、赤れんが庁舎の後方に大きく青空が広がるようにと願っている。今すぐに解決するのは難しいが、数十年後、いや百年後でも構わないが、こうなって欲しいと祈っている。
蛇足になるが、札幌市内の「時計台」も観光名所として有名である。しかし、ビルの谷間に埋もれている時計台を見て、あこがれていたものが一瞬に消え去り、泣き出した観光客もいる。このようなこともあり、時計台は「日本三大がっかり名所」の一つと揶揄(やゆ)されたりしている。他の2 つはどこか知らないが、「赤れんが庁舎」がその仲間に入らないようにと願っている。
* 免震化も考えられるが、多額の工事費が必要で、免震化するのであれば、後世に残す「赤れんが庁舎」を優先して欲しい。
(参考文献)北海道総務部総務課発行パンフレット「赤れんが庁舎、重要文化財・北海道庁旧本庁舎」
* いしやまゆうじ 北海道大学名誉教授
(社団法人)建築研究振興協会発行「建築の研究」2010.2掲載