ちょっと真面目チョット皮肉 No. 196
石山祐二*
耐震規定の歴史は表 1 から分かるように被害地震後の対策の歴史である。日本最初の耐震規定は1923 年関東大震災の翌 1924 年に当時の建築基準である市街地建築物法( 1919 年制定)の改正による水平震度 k = 0.1 (以上)の導入である。この値は第 2 次世界大戦後の建築基準法導入の際に k=0.2となったが、これは建築材料の許容応力度を長期と短期に区別し、地震に対する許容応力度が 2 倍となったためで、耐震性を高めるような変更ではなかった。
設計用地震動を見直したのが 1981 年導入の新耐震(設計法)である。それまで考えていた地震動を中地震動(標準せん断力係数 C0 = 0.2)とし、その 5倍の地震動を大地震動(C0 = 1.0)としたのである。もっとも、大地震動に対しては構造物が損傷することを容認し、構造的な粘り(靱性(じんせい))に期待する(構造特性係数 Ds の導入)という設計である。その後に若干の改正はあったが、新耐震の考え方は今でもほぼ妥当と考えられている。
さて、関東大震災から 100 年後の 2023年トルコ・シリア地震が発生し、比較的新しい高層アパートも多数崩壊し、死者 5 万人以上という大震災となった。トルコでは度々大地震が発生し、立派な耐震規定(日本と同程度)があるのに何故このような大被害となったのであろう。
建物の柱が崩壊し、床が重なったようになる被害をパンケーキ・クラッシュ(パンケーキとはホットケーキ、クラッシュは崩壊)というが、被害映像を見ると床も粉々になっており、粉々崩壊というべきであろう。このような崩壊は低強度のコンクリート、不十分な補強鉄筋、脆弱(ぜいじゃく)な接合部などが重なって生じたに違いない。この原因は(日本では考えられないが)建築基準を守らなくとも罰金を払えば(合法的に)建築できるということにあるようである。
デベロッパー(不動産開発者)は耐震規定を守らずにマンションを建設し、売り払ってしまうのである。これを実証するように、デベロッパーが全財産を現金化し国外に逃亡しようとしたが、空港で捕らえられたとのニュースがあった。
規定は守らなければ「絵に描いた餅」である。よい耐震規定を作り、何十年も守り続け、そして大地震が起こった際に、ようやくその有効性が分かる。結局、国・地域全体で耐震規定を長年守り続けなければ同じ事が繰り返されるだけである。
最後に個人的なことであるが、私の父は関東大震災を(当時有楽町にあった)都庁で経験し、その夜は雨露をしのぐため(線路が曲がっていて動くことができない)電車の下で過ごした。その父に再度大震災が起こったらどうするかを聞いたことがある。答えは「何も持たずに逃げる」ということであった。突然の地震発生による建物や構造物の崩壊・火災・津波などを考えると、地震発生時に個人でできることは極めて少ない。海外からの研修生に耐震などについて話す機会がある際には、このようなことも伝えている。
* いしやまゆうじ北海道大学名誉教授
(一社)建築研究振興協会発行「建築の研究」2023.7 原稿