ちょっと真面目チョット皮肉 148
石山祐二 *
「生誕100 年彫刻家佐藤忠良展」が札幌芸術の森美術館で開催された(写真1)。佐藤忠良(ちゅうりょう)は、1912 年宮城県に生まれ、6 歳の時に父親が亡くなり、1919 年に母親の実家の移転先である北海道夕張に転居した。小学生の頃から絵画に対する才能を発揮、1925 年に一人で札幌に移り札幌第二中学校(現・札幌西高)に入学し絵画部で活躍した。その後、北海道帝国大学(現・北海道大学)農学部を目指すが、芸術の通をあきらめきれず、1934 年22 歳で東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科に入学し、1939 年27 歳で卒業した。
卒業後、新制作派協会彫刻部創立に参加、1944 年兵役に招集され、戦後1948 年までシベリアに抑留、帰国後活動を再開し、1954 年に第 1 回現代日本美術展佳作賞受賞、1960 年に第3 回高村光太郎賞受賞、1966 年に東京造形大学創立と共に教授に就任した。
1974 年には第15 回毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞、翌年には第6 回中原悌二郎賞受賞、第3 回長野市立野外彫刻賞受賞、1977 年に第5 回長野市立野外彫刻賞受賞、1981 年にはフランス国立ロダン美術館で日本人初の個展を開催した。1986 年に東京造形大学名誉教授、1989 年に朝日賞受賞、1990 年に宮城県美術館内に佐藤忠良記念館設立、1992 年に第41 回河北文化賞を受賞した。その後も活動を継続していたが、2012 年享年98 歳で逝去した。
彼の作品はどれも具象的で、彫刻に対する何の知識もない私でも、およそ100 点のブロンズ像をただ見るだけで彼の彫刻に対する真摯な態度と人間性を感じることができた。その他に、多くの絵画・絵本・書籍などの展示も、もちろん興味深かった。
友人・知人・家族の顔のブロンズ像も(数点の有名人の顔も)、個人個人の個性と経験がにじみ出ている感じがする。写真 1 には「帽子・夏」の一部が写っているが、作品全体を見ると帽子が空間に浮かんでいるような感じと、女性の美しさが表現されている。帽子をかぶった女性の作品は他にも数点あり、どれも彫刻としては比較的珍しく、ほぼ左右対称である。子供を扱った作品は、子供に対する彼の優しさと子供自身が楽しく遊んでいる様子がわき出てくるような感じがする。
彼の作品のほとんどは宮城県美術館(仙台市青葉区)にあり、札幌で展示された多くの作品は同美術館所蔵のものであった。彼の作品は全国的に設置・展示されているが、特に彼にとって第二の故郷である北海道には、札幌・旭川以外の市町村にも多くの彫刻があるので、彼の名前を知らない人でも彼の作品を見ている人は多いはずである。
また、彫刻家・佐藤忠良を知らなくとも、絵本などで彼を知っている人も多いであろう。ロシアの昔話「おおきなかぶ」の絵本(写真 2)はシベリア抑留の経験がなければ描くことができなかった作品である。彼がこの絵本を書くことになったのは、この絵を描くことができるのは彼の他にいないと信じて、出版社が依頼したからであるが、彼は依頼者の期待を(多分)はるかに超える挿絵を描いた。1962 年に出版されたこの絵本は、今では155 刷となり、どの書店の絵本コーナーにもあるベストセラーとなっている。
* いしやまゆうじ 北海道大学名誉教授
(社団法人)建築研究振興協会発行「建築の研究」2013.6 掲載