ちょっと真面目チョット皮肉 136
石山祐二 *
東日本大震災の原発事故によって、標題の本(写真参照)を思い出した。この本は 1979年スリーマイル島原発事故後の 1981年に出版された。その後、 1986年 4月にチェルノブイリ原発事故が発生し、内容を全面的に書き替え 1986年 8月に出版されたものである。
原発が安全ならば、電力消費の大きい大都市に小型の原発を建設することによって、送電線や変電所の費用を大幅に縮小することができる。更に、原子炉を冷却するため単に海水を温めている熱を温水としてパイプで各建物や住宅に供給することにより、暖房や日常の温水のみならずヒートポンプを用いて冷房にも活用することができ、結果的に電気料金も低くなる。原発を容認しているのは都会の人が多く、東京には小型原発を造る敷地は十分あり、電力の地産地消の面からも良いなどという皮肉な話である。
もちろん原発の危険性について多角的に指摘している部分が大半で、その中で私が特に気になった点を紹介したい。
原発では、原子炉で造られた熱でタービンを回し発電しているが、発電に用いられている熱は 1/3で残りの 2/3は海に捨てている。その捨てている熱を有効に利用するよい方法はないのであろうか。
原発の寿命が尽きたときにどうするのであろう。東日本大震災の原発事故により放射能で汚染された学校のグラウンドの表土を削り取ったのはよいが、その土をどこに処分するかが問題となっている。わずかな量の土ではなく、汚染された大量の瓦礫をどこに処分するのか、瓦礫を引き受ける近くの住民は当然反対するであろう。
瓦礫の処分の前に、原発をどのように解体するのであろう。放射能で汚染された粉塵をまき散らすことは許されないので、そのままコンクリートで固めておく方法も考えられている。その場合、汚染物質・危険物質が漏れないように長期間管理を続ける必要がある。いずれにしても、放射能で汚染された原発の処分方法は先送りされたままのようである。
しかし、私が最も心配しているのは、高レベルの廃棄物である。使用済みの燃料棒は、冷却を怠ると爆発が起こるので、常に冷却しながら保管する。そして、輸送できるようになったら、再処理施設でまだ使える燃料を取り出し再利用するとしている。しかし、残りの大部分は危険な高レベル廃棄物となり、この最終処理方法がまだ見つかっていない。今のところ、地下の深いところに長期間保管し、放射能がいずれ次第に少なくなるのを待つのが有力であるが、その期間は数千年から数万年にもなりそうなのである。高レベル廃棄物の処理方法が分からないまま、(人類が滅亡しなければ)数百代にわたるであろう危険物を後世に残すことには決して賛成できない。
私が心配している点が、この本の出版後の 30年ほどの間に解決されていることを期待しているが、多くの問題が未解決のままのようである。このような状況の中で、原発を推進してきた本当の理由は何か、原発の運転中の安全性を高めることは技術的に可能かも知れないが、建設から最終処理まで(事故が起こった場合の補償を含め)トータルでも原発は経済的なのかなどについて、考えてみたいと思っている。
(この本の著者は 2010年 8月に「原子炉時限爆弾」をダイヤモンド社から出版しているので、機会があったらその内容も紹介しよう。)
* いしやまゆうじ 北海道大学名誉教授
(社団法人)建築研究振興協会発行「建築の研究」2011.6掲載