ちょっと真面目チョット皮肉 No. 200
石山祐二*
1988(昭和63)年4月号から始めた連載はこれで200 回となり、区切りがよいのでこれを最終回とし、これまでの経緯を振り返りながら皆さんに御礼を述べたいと思います。
連載のきっかけは、1987(昭和 62)年に建築研究所(建研)の企画調査課長となり建築研究振興協会の機関誌「建築の研究」の編集委員となったことです。それまでにも「建築の研究」に何度か原稿を書いたことはあったのですが、編集委員となったので連載でも書いて見ようと思い、第 1 回に「ちょっと真面目・チョット皮肉-年齢と共に年月はどのくらい速く過ぎると感じる?」として書き始めました。
当時の編集委員会の幹事は菊岡倶也(たくや)さん(1937-2006)でした。菊岡さんとは建研がまだ筑波研究学園都市(当時はこのように呼んでいました)に移転する前、東京都新宿区百人町(このことを覚えている人も少なくなったようで寂しい限りです)にあった時の企画室の同僚で、「ちょっと真面目・チョット皮肉」と(平仮名・片仮名・漢字を組み合わせて)表示することを決めてもらいました。企画調査課長を終える際に、連載を止めようと思ったのですが、1989(平成元)年からペルー国立工科大学の日本・ペルー地震防災センターの専門家としてペルーの首都リマに行くことになり、この間はペルーのことを書くことにしました。ペルーへは女房と娘二人の家族全員で行きましたが、その間も筑波の公務員宿舎を借りておくことができ、この点でも恵まれていたと感謝しています。
ペルー滞在中に帰国後に母校である北海道大学(北大)に行く話が恩師の教授から手紙などでありました。電子メールなどのない時代で、日本と頻繁に連絡が取れない状況でしたし(建研の研究者が大学などに移動する際に移動時期について問題が生じることがあったことを企画調査課長時代に知っていましたので)、建研と北大で問題のない時期であればいつでも構わないと返事を出しました。手続きには多少時間がかかると思い、移動時期は(娘達の復学や進学にも好都合な)年度の変わり目かなと思っていました。ところが、1991(平成 3)年 6 月末に帰国すると、すでに 10 月に北大に出向することが決まっていました。
北大に移ってからは、北海道についても書こうと思い、連載を続けました。北大を定年になった 2005(平成 17)年 3 月には、それまでの連載をまとめて「建築 J ウォークちょっと真面目・チョット皮肉」を出版しました(図 1)。
その際に三和書籍社長の高橋考(こう)さんを紹介してくれたのも菊岡さんでした。単行本として出版できたので、連載を止める良い機会と思っていたのですが、菊岡さんから「定年後は時間的に余裕ができるはずだから、もう少し続けたら」と説得され、さらに続けることになりました。
しかし、残念なことに菊岡さんは 2006(平成 18)年 1 月に亡くなり、連載を止める機会を失してしまいました。そのうちに 200 回まで続けると、ちょうど 80 歳になるので、区切りが良いと思うようになりました。ところが、隔月(年 6 回)発行の「建築の研究」が年 4 回となり、ようやく今回で 200 回となり、82 歳で最終回に辿り着いた次第です。
この 36 年間、何についてどのように書こうかと迷ったことも多かったのですが、内容について全く制約を全く受けず、掲載していただきました。建築研究振興会、建築の研究編集委員会、関係者の方々、そして読んでいただいた皆さんに深く感謝します。「本当に長い間、ありがとうございました。」
図 1 「建築 J ウォーク ちょっと真面目・チョット皮肉」(三和書籍、2005 年 3 月 10 日発行)の表紙
* いしやまゆうじ北海道大学名誉教授
(一社)建築研究振興協会発行「建築の研究」2024.7 原稿